更新日:2009年2月9日

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雑学コラムpart2


ペットの砂蒸し「気持ちいいニャ~」

砂蒸し温泉で有名な指宿市には、おそらく世界でも唯一のペットの砂蒸し施設があります。これは市内の黒木動物病院がペットの治療のために始めたもので、診察室の隣に砂場を設け、その下に温泉を通して人工の砂蒸し温泉を作っています。


ペットの犬や猫は浴衣にくるまれ、砂の中で約5分。ペットたちも気持ちいいのか、おとなしくしているそうです。リューマチや神経痛、慢性胃腸炎の他、ストレスや肥満などに効果があるといいます。ちなみに砂蒸しで温まった犬のことをホット・ドックという…というのは 冗談デス。

自然界の厳しさと、動物たちの生活を描いた椋鳩十

日本を代表する児童文学者・椋鳩十。長野県に生まれた彼は、戦前から鹿児島で教職に就き、戦後は県立図書館長として活躍するとともに、鹿児島を舞台にした動物小説を多数執筆しました。


人2万、猿2万、鹿2万といわれる屋久島の大自然を舞台に、野生動物の厳しい生活を通して自然への畏敬の念と命の尊さを語りかける「片耳の大鹿」、2羽の鷲の子が鷲本来の本能に目覚め、すぐれた知恵を身につけながら、生きていくことの厳しさと対決して成長していく様子を描いた「大空に生きる」、戦後間もない甑島を舞台に、軍用犬として飼われていたシェパードと野犬とのかかわりを描いた「王者自然界の厳しさと、動物たちの生活を描いた椋鳩十の座」など、多くの名作を残しました。


また、県立図書館長時代には、「母と子の20 分間読書運動」を提唱し、その推進に努力しました。彼が暮らした姶良郡加治木町に、遺品、著作等を展示した椋鳩十文学記念館が建てられています。

ツルのふるさと、1万2千羽突破

鹿児島の冬の風物詩となった、出水のツル。毎年10月中旬頃から3月中旬頃まで、越冬のため出水市荒崎に渡来します。
鹿児島県ツル保護会は、写真判定などによる羽数調査を行っており、平成12年には観測史上最高の1万2千羽を超えるツルが確認されました。
しかし年々ツルが増え続けることで、エサ場をはじめ周辺の環境問題も深刻化しており、ツルと人間の共存策が検討されています。


日本野鳥の会ではツルの渡りルートを解明するため、ツルの背中に小型の発信機を取り付け人工衛星を利用した追跡調査や中国の研究者との共同調査などを行っています。ロシアのアムール川中流域から、約1,900kmを2か月以上かけて出水にたどり着いたツルも確認されています。


出水市荒崎の市ツル観察センターは、ツルの渡来シーズンになると、優雅なツルの舞を見入る多くの観光客で賑わいます。

異人さんがくれたインギー鳥

明治27 年、イギリスの帆船ドラム・エルタン号が南種子町の前ノ浜海岸に漂着しました。この時、地区の住民は乗組員の介護や帆船の修理に献身的に協力し、これに感謝した乗組員が、食用として船内で飼っていた鶏を地区民に贈りました。


当時、イギリスのことをインギーと呼んでいたことから、地区民はこの鶏を「インギー鳥」と呼んで大事に守り、現在も、飼育されています。


インギー鳥の特徴は、一般の鶏よりやや小ぶりで尾がないことです。鹿大農学部で調査した結果 、現在では、世界でも種子島だけに生存する大変珍しい鳥であることがわかりました。
南種子町では、平成4年インギー鳥を町の天然記念物に指定して、保護しています。

200万年前の「サヨウナラ」

約200万年前に大陸と現在の奄美諸島の間の海底が陥没してトカラ海峡が生じ、奄美諸島は琉球諸島とともに、日本列島の中で最も早くアジア大陸から分離して島しょとなりました。
その後、氷河期と間氷期の気候変化が繰り返され、氷河期には海面が100m以上低下することもあったので、屋久島や種子島は約1万年前に完全に切り離されるまで大隅半島南部と 陸続きだった時代もありましたが、奄美諸島はその後再び本土と陸続きになったことはないといわれます。
このため、トカラ海峡を境に、奄美と種子・屋久の生物分布には質的に大きな相違が生じました。このことを確かめた渡瀬庄三郎(1862~1929)にちなんで、この生物分布の境界線が渡瀬ラインと命名されました。

大仏様の家は霧島の松でできている?

「大仏殿再建説」の記録によれば、1684年から行われた「東大寺大仏殿」の修復工事に、霧島の赤松の原木2本が使われたと記されています。


霧島で切り出された松は、約15万の人と4千頭の牛を使って国分新川口まで運ばれました。新川口から鹿児島までは小船60隻を使って引き、鹿児島で新造の千石船に積み兵庫へ、兵庫からまた海に浮かべ大阪へ、淀川、木津 川を通って奈良の工事現場まで、約9か月かかって到着したといいます。


このときの松一本のお値段が2千両、現在の価値にすれば約2千万円といったところでしょうか。大仏殿は、世界最大の木造建築物として現存しており、霧島の松は、今も大仏様の家として役目をはたしています。

巨木の国、鹿児島

環境庁が昭和63年に実施した巨樹・巨木林調査で、ベスト20のうち5本が本県の木でした。


蒲生町八幡神社の大クスが日本一の巨木と認定されたほか、第3位に大口市奥十曽のエドヒガンザクラ、第9位に志布志町若宮神社のクス、第11位に屋久島の縄文杉、第12位に川辺町飯倉神社のクスが入りました。(大きさの基準は幹周り)。


都道府県別では静岡県が3本、佐賀、福岡、高知県が各2本ずつ、6県が1本ずつです。文字どおり鹿児島県は日本一の巨木のふるさとだといえます。
※杉については1999年に秋田県で縄文杉より大きいものが発見されました。

沖永良部島と百合の花

沖永良部島は現在もテッポウユリ、フリージア等の生産が盛んな花の島ですが、明治の中頃から、主としてアメリカに向けて、テッポウユリの球根の輸出が盛んに行われ、百合(ゆり)成金も出たということです。


「えらぶ百合ぬ花 アメリカち 咲かちヤリクヌ うりが黄金花 島に咲かさ」
(テッポウユリの花をアメリカに咲かせよう 私たちの大切な花をこれからもずっと島で守り咲かせよう)
という民謡「永良部百合の花」がテッポウユリの対米輸出が盛んだった当時の様子を今に伝えています。

屋久杉物語

屋久島は、洋上アルプスといわれ、亜熱帯性から高山性まで多様な植生が見られますが、屋久杉は標高700mから1,800 mくらいまでの針広混交樹林帯で見られます。


屋久杉は日本各地の杉と分類学的に大きな違いはないといわれますが、他地域の杉の寿命がせいぜい数百年といわれる中で、屋久杉が何千年もの生命を保っているのは、
  1. 年間10,000mmに達するといわれるほどの降水量があり、雨、霧や水を含んだ苔のために、水中保存のような状態に保たれること
  2. 台風常襲地帯であるため樹高があまり伸びず、幹が太く年輪のつまった、樹脂を非常に多く含んだ杉になること
  3. 針広混交林のため、樹間に日光がよく届き、下ばえの低木が地表を守ること
などによるといわれます。
屋久杉は、倒木の上から新しい杉が芽吹く樹上更新という独特の方法により、世代交代を行います。


屋久島の山は、昔から神々の山として島民に畏れ崇められ、屋久杉も神木として誰一人伐採しようとしませんでした。
しかし、江戸時代初期に、屋久島出身の儒学者泊如竹が、島民に屋久杉の利用開 発を勧め、薩摩藩にも献策したことから、屋久杉の伐採が本格的に始まりました。
当初は伐採した杉を山から運び出すことはできず、ほとんどは山中で板瓦用の平木に加工されました。その頃は、伐採方法が手オノしかなかったことと、加工のしやすさなどから、屋久杉の根元に高い櫓ろを組んで地上3~4mの所から伐採されました。
当時の切り株が今、土の中から掘り出されて、屋久杉加工品の原材料として使われています。


標高1,000mを超える山が46もある屋久島は、急峻な地形に阻まれ、天候次第では地元の人でも迷うといわれるほどです。
島の人々の間では、昔から幻の巨木の存在が言い伝えられてきました。縄文杉は 昭和41年に発見され、翌年元旦の南日本新聞の一面を飾ったことから、広く知ら れるようになりました。その後、それ以上に大きい屋久杉は発見されていませんが、地元の営林署も屋久島全体についての調査を完了していないことから、島のどこかにまだ見ぬ 幻の大杉があるかもしれません。

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