更新日:2017年9月1日

ここから本文です。

鹿児島市に残る城跡を紹介します

鹿児島市には,戦国時代・島津家当主が住んだ城跡がいくつかあります。
今回は

東福寺城跡
清水城跡
内城跡
についてご紹介します。

1福寺城跡
在の,鹿児島市清水町の多賀山公園にあります。
々は藤原純友の子孫を自称する・長谷場永純が築城した城です。
津氏5代目当主・島津貞久は,鎌倉幕府倒幕運動に協力しました。貞久はこの戦いで東福寺城を落とし(この時東福寺城を居城としていたのは鹿児島郡司・矢上氏です),これ以降東福寺城は島津氏の拠点となりました。

 

東福寺城いち 東福寺城に

2水城跡

在の,鹿児島市稲荷町の清水中学校の位置にありました。城郭遺構はありません。
津氏7代目当主・島津元久が築城した城です。
津氏14代目当主・島津勝久の時代まで,島津氏宗家の居城となりました。また,元久は福昌寺を島津氏の菩提寺として創建します。この元久の時に,島津氏の鹿児島支配の大きな支柱が作られたと言えます。

清水城

3城跡
在の,鹿児島市大竜町の大龍小学校の位置にありました。現在は城郭遺構はありません。
津氏15代当主・島津貴久が築城した城です。

津貴久は,島津氏の分家の生まれで,14代当主勝久の養子となることで15代当主になった人物ですが,周りの分家の反対にあったり,譲ったはずの勝久が「やっぱり貴久に譲るのはやめて,自分が当主として務める」と手のひらを返したりされて,貴久が当主として認められるまでの道のりは困難なものでした。
津氏の分家や,肝付兼演や本田薫親などの有力武将を制圧し,ほぼ島津家中内外からも当主と認められた後の天文19年にようやく,築城した城です。その後の天文21年に,ついに貴久を「従五位下修理大夫」に任じる宣旨が出て,貴久は正式に島津氏の当主として認められました。

内城

よくあるご質問

このページに関するお問い合わせ

鹿児島地域振興局総務企画部総務企画課

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

このページの情報は役に立ちましたか?

このページの情報は見つけやすかったですか?