アフリカン・スピリットが熱い!ジャンベフェスティバル開催!!
西アフリカの伝統的な打楽器「ジャンベ」を通して,三島村とギニアが交流を始めて今年で15年。
これを記念して「ジャンベフェスティバル」が平成21年8月20日(木曜日),かごしま県民交流センター(鹿児島市)で,行われました。
三島とジャンベの関係
「ジャンベ」は,西アフリカで,結婚式や祭り,儀式の時などに演奏される伝統的な打楽器です。
平成6年,「自分は小さな村の出身。日本の小さな村の子どもたちと交流したい」との思いで,ジャンベフォラ(ジャンベの神様)であるママディ・ケイタさんが三島村にやってきたのが,ジャンベと三島村の関わりの始まりでした。
それ以来,三島村では,ジャンベを村の新しい芸能として位置づけ,ママディ・ケイタさんと毎年交流を続け,平成16年には,ママディ・ケイタさん公認の,アジアで初めてのジャンベスクール「みしまジャンベスクール」が開校しました。
こうして,三島村とギニアの交流が始まって15年,ジャンベスクールが開校して5年となった現在まで,ジャンベを通して村の活発な活動が行われており,三島村の子どもたちは,みんながジャンベを習い,演奏して,国際交流を行っています。
熱気あふれるジャンベコンサート
コンサートはすごい人気で,600人収容の会場は満員。受付では,キャンセル待ちについて尋ねている人もいたほど。
ステージでは,まず,アフリカンミュージックやダンスのグループ「ヌーベルジェネレーションデ鹿児島」,「コラ」,「フォリカン」の3グループがそれぞれ演奏を披露しました。
客席からは,絶えず手拍子が鳴り,会場は盛り上がります。
どの演奏者も,笑顔で楽しそうにジャンベを叩き,踊っているのが,とても印象的でした。
三島村の子どもたちがジャンベを演奏します。
会場が熱気に包まれる中,三島の子どもたちが登場。
おそろいのピンクのTシャツを着た,三島村の小中学生27名が,それぞれジャンベを持って,日頃の練習とママディさんから直接指導を受けて培ったジャンベの腕を披露します。
どの子どもたちも真剣に,とても生き生きとキラキラとした表情で演奏しています。
大人と比べると,まだまだ体も力も小さいのに,大きなジャンベをしっかり抱え,強くしっかりとした音色を奏でていることに驚きました。
そんな様子を見ていると,子どものうちから,外国の文化に自然な形で触れ,国際的な感性を育んでいる三島の子どもたちが,とてもうらやましく思いました。
ママディ・ケイタさんいよいよ登場!
いよいよ最後のプログラム。ステージには子どもたちを含むジャンベ奏者がずらりと並びました。
その数はおよそ80名で,全世界,各国にあるママディさん公認のジャンベスクールのディレクター10名をはじめ,みしまジャンベスクールの受講生たち。
皆さん,衣装もいろいろ,人種もいろいろの個性豊かな面々で,彼らが一斉にジャンベを演奏すると,さすがに大迫力!!会場も一層の盛り上がりを見せていました。
そして,いよいよママディ・ケイタさんの登場!
ママディさんのソロは,力強く,情熱的,そして表情豊かな演奏で,さすがカリスマの風格といった印象でした。
何気なくジャンベを叩いているように見えるのに,少しずつ叩き方が違うのか,甲高い音から身体にズンと響くような音までいろんな音が出され,しかもクリアでスッキリとした音色。
ジャンベがまるで体の一部のように,自由自在に操っているという感じでした。
コンサートは,最後まで大盛況で,ラストは観客が総立ち。
予定より少し長引いたのですが,途中で席を立つ人もおらず,どの人もジャンベの演奏を楽しんでいた様子でした。

ジャンベの神様ママディ・ケイタさんにお会いしました!
あらためて,ママディ・ケイタさんってどんな人?
(三島村ジャンベ交流15周年記念フェスティバルパンフレットから引用)
全米音楽誌「ドラム」が選ぶ世界最優秀奏者に2年連続輝いたアフリカンパーカッションの巨人。パンアフリカン音楽祭金賞。自伝映画「ジャンベフォラ」(フランス/1991年)でアミアン映画祭グランプリ。和太鼓の林英哲氏と共演したNHK「響け!アフリカの太鼓」でゴールデンアンテナ国際番組賞。
アフリカの音楽文化普及のため,世界に14の公認スクールを開設し,数多くの演奏家を輩出。
2009年は,演奏生活50年にあたり,7万人の音楽祭典fesrival couleur cafe'への出演など,5年ぶりのEUツアーを行い,音楽ファンの注目を集めている。
ママディ・ケイタさんにインタビューしました!
コンサート前の貴重な時間を頂いて,ママディ・ケイタさんにお話を伺うことができました。
日頃,フランス語を使われるというママディさんとは,日本人の通訳の方を介してインタビューするとのこと。
そうそう直接お会いすることなんてできないであろう「ジャンベの神様」ママディ・ケイタさんと直接お話しできるとあって,かなり緊張です。
さて,コンサート直前のリハーサル終了後,心臓をバクバクさせながら,ママディさんの楽屋へお邪魔しました。
楽屋には,ママディさんと通訳の方がおられ,ママディさんの傍らには立派なジャンベが!
全くの素人の私にも,ママディさんのジャンベが,そう簡単に触れたりしてはいけない大切なものであると感じ,とても神々しく見えました。
ママディさんへのインタビュー時間は,およそ45分間。その概要をご紹介します。
Q:ママディさんが,ジャンベと関わるようになったきっかけは?
私がなにか偉大なことを成し遂げることは,私がお母さんのおなかの中にいるときから占い師に予言されていたそうです。
占い師によれば,その子は,マンディング村(ママディさんの生まれた村)より,この地域より,ギニアより,もっともっと大きなところで活躍し,世界中に知られる人になるでしょう,と。
そして,ハイハイをし始めた頃には,例えば,食べ物が入ったお皿をひっくり返して叩いたりなど,いろんなものを打楽器のようにしていたそうです。
この子が,ジャンベの演奏家になるのではないかと思った母親は,私が2歳の時,ジャンベを作らせました。私は,そのジャンベを初めて渡されたとき,見たこともないくらい喜んだそうです。
それからは,誰に教わることもなくジャンベのリズムを叩くことができるようになり,5歳の頃には,村の伝統的な祭りに演奏者として参加するようになりました。その演奏は,政府の役人の耳にも届き,14,5歳の時,国が初めて作った国立舞踊団に在籍することになりました。
このように,私の人生には,神秘的なことがいろいろあり,また,いろんな山を越えてきました。
ジャンベフォラは,当時,社会的にあまり認められておらず,あまりいい職業とは思われていなかったため,とても苦労しました。
でも,今,若いアフリカの演奏家が,私を慕って付いてきてくれるのは,最初に私が,ジャンベの文化にスポットを当てることが出来たということではないかなと思っています。
Q:ママディさんにとって,ジャンベはどういうもの?
ジャンベは,あらゆる祭りや儀式の時に演奏されます。結婚式,割礼,狩りの時にも。
そんな時,ジャンベはお話をするスピーカーのような役割をするのです。
ジャンベは喜びを象徴する楽器なのです。
Q:ママディさんにとって,三島の印象は?またその魅力は?
私が三島へ行くと,島の人々は大変歓迎してくれます。その歓迎ぶりと人々の熱い想いは,私の生まれ育った村へ帰った時と,全く同じような雰囲気を感じることができます。
島のお年寄りは,私に会えることが出来て良かったと言い,子どもたちは,父のように慕ってくれ,人々は私をとても愛してくれます。
私にとって,三島は,二つ目の自分の家,出身地です。
Q:鹿児島の子どもたちにメッセージを!
まず,三島の子どもたちには,とてもシンプルなことですが,これからもぜひジャンベを続けていって欲しいと思います。そして,世代ごとに発展させ,教えつないでいって欲しいです。
私の夢は,世界に平和が訪れることです。
ジャンベは,世界で最も演奏されている打楽器の一つだと思います。他の打楽器では,一度に大勢の人が集まって演奏することはできませんが,ジャンベにはそれができます。世界中の人たちがジャンベを持って,みんなで演奏したら,いろんな問題が解決すると思います。
クリアな頭をもって,しっかりと伝統を守っていけば,国が違おうが,民族が違おうが,きっと共通なことができるのではないでしょうか。
文化には,国境線がないわけですから。
ぜひ手を取り合い,一緒になって,平和をもたらしましょう。

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