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更新日:2018年11月26日

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小松帯刀が眠る園林寺跡(おんりんじあと)を紹介します

薩摩半島のほぼ中央,白砂青松の吹上浜と東シナ海に面する日置市。

日置市の中でも中央に位置する日吉町吉利には小松家の菩提寺でもある園林寺跡があります。小松家歴代の墓,そして明治維新に尽力した29代小松帯刀が眠っています。園林寺跡周辺には田畑が広がり,のどかな山里の風景が今もなお残っています。

■小松帯刀について
1835年,小松帯刀は喜入領主肝付兼善の三男・尚五郎として生まれ,のちに吉利領主であった小松家の養子となり,小松帯刀清廉と改名します。吉利藩主となった帯刀は領地吉利の治績に尽くし,「小松家の名君」と呼ばれました。島津斉彬のもとでは火消隊長となり,斉彬の死後は側役に昇進して大久保利通等の下級武士を重用するなど島津久光・忠義を補佐しました。文久2(1862)年には島津家家老へ昇進,倒幕に向けての薩長同盟や大政奉還を将軍徳川慶喜に進言するなど明治維新の礎を築きました。維新後も活躍を期待された一人でしたが,36歳の若さで亡くなり,その早すぎる死で維新後の活躍が果たせなかったことを惜しみ「幻の宰相」と呼ばれています。

■小松家・園林寺跡について
小松家(旧禰寝家)は,もともと大隅半島の根占地方を治めていましたが,17代禰寝重治(ねじめしげはる)の時に吉利に移封されて以来,明治に至るまで領民に親しまれてきたといわれています。園林寺はその領地替えの際に移された寺院で,明治2年に廃仏毀釈で廃寺となりました。なお,小松姓は,24代清香の時に禰寝姓から改姓しました。(祖先の平重盛が小松内大臣と呼ばれていたためと言われています。)
小松帯刀の墓は,妻お近と並んで吉利集落を見下ろす位置にあります。またその横には昭和天皇より賜った石灯籠,地区には幕末の横綱であった陣幕が奉納した石灯籠や小松が京都で愛した琴子の墓などもあります。

■周辺の整備について
園林寺跡入口には,県の「魅力ある観光地づくり事業」により駐車場とトイレが整備されたほか,「地域振興推進事業」や「森林環境税」を活用して,説明案内所や木製ベンチ等が整備されるなど,日置市の観光スポットとなっています。

■所在地
鹿児島県日置市日吉町吉利5004-3

■駐車場
有り

■ボランティアガイドの説明を受けることができます。事前予約が必要です。ボランティアガイド予約問い合わせ先は次のとおりです。
日置市観光協会(電話:099-248-7380)

■アクセス(自動車の場合)
鹿児島市街地から県道35号を日吉方面へ。約40分後,永吉十文字交差点を右折し,国道270号へ。しばらくすると『園林寺』へ右折の表示有り。

小松帯刀の墓・園林寺跡1
小松帯刀の墓(園林寺跡)入口
(説明案内所・トイレ)

日置瓦を用いた案内板
日置市の特産である日置瓦が使われた案内板

小松帯刀の墓1
第29代小松帯刀清廉の墓と妻お近の墓(写真左)

 

小松帯刀の墓2
園林寺跡に並ぶ小松家の墓

小松帯刀の墓・園林寺跡4
小松家墓所見取図

 

小松帯刀の墓・園林寺跡5
廃仏毀釈により破壊された仁王像

 

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