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更新日:2019年9月25日

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「薩摩藩英国留学生渡欧の地」を紹介します♪

鹿児島県の薩摩半島,吹上浜の北端にある「いちき串木野市」から更に,北へ約10キロのところに「羽島」という地があります。(鹿児島市から北西に約50キロ)

この地は,西に東シナ海や甑島を望むことができる景勝地であり,漁業が盛んな場所でもあります。
元治2年(1865年)4月17日,薩摩藩の命を受けた一行19名が,この地からイギリス船「オースタライエン号」に便乗しイギリスに向かいました。
現在ここには,「薩摩藩英国留学生渡欧の地」として,記念碑が建てられており,偉大な快挙であったことを知ることができます。

この「派遣留学」は,安政4年(1857年)藩主「島津斉彬」が,「語学・産業学問・医学・化学・砲術・造船・航海術」といった各国の情勢を調査するという内容で発案していたようですが,当時は,海外への航海は禁止(国禁)であったため,名目は「甑島・大島周辺の調査」だったようです。

しかし,安政5年(1858年)斉彬の急死により挫折しますが,7年後,五代才助(友厚)により遂行されたといわれています。

また,留学生派遣論の構想については,「五代才助上申書」と称する建言書に,留学先での課題や人選など詳しく記されていたため,藩当局も即座に採用し,藩主(島津忠義)並びに実権者である斉彬の異母弟久光の賛意を得て,実行に移されたといわれています。

そして,元治2年(1865年)1月18日に藩主(島津忠義)から命が下り,厳選された留学生たちは,約2ヶ月間羽島に滞在したのち,4月16日の夕方に姿を現した「オースタライエン号」に乗船したとあります。

留学生たちは,船上から羽島(薩摩)を見つめ,様々な思いを胸に,元治2年(1865年)4月17日,英国に向け出航したといわれています。歴史の一歩を踏み出した地に足を運んでみてはいかがでしょうか。

なお,平成26年7月には,留学生の歴史的な功績を顕彰した「薩摩藩英国留学生記念館」が開館しました。

(「薩摩藩英国留学生記念館」については,こちらを御覧ください。)

また,羽島地区では,毎年この留学生の偉業を称える「黎明祭」を開催しています。

(「黎明祭」については,こちらを御覧ください。)

◇◆「薩摩藩英国留学生渡欧の地」は,県の「魅力ある観光地づくり事業」で公園と駐車場を整備しました◇◆

 
薩摩藩留学生渡欧の地
現地の案内パネル
現在の渡欧の地の様子

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