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更新日:2011年12月26日

9月のちょっといい話~個別の課題から~(高齢者)

  法務省人権擁護局・全国人権擁護委員連合会主催の第28回全国中学生人権作文コンテストで内閣総理大臣賞を受けた,長野県・信州大学教育学部附属松本中学校3年の野崎華加さんの「最期まで輝いて・・・」を読みました。
 そこには,認知症だった曾祖父母,その介護に当たった作者の母と祖母,日々の生々しく凄まじい様子を見て自分も介護にかかわった,作者の気持ちの変化が素直に綴られています。
 介護をする側は,介護を受ける方々の気持ちを分かって介護に当たっているのでしょうか。私自身がよく分かっていなかったので,作文を読み衝撃を受けました。
 介護とは,徘徊や排泄物で衣類や夜具を汚す,食事をしたこともすぐ忘れて「ご飯はまだかー」などと言われ,それをなだめて言い聞かせるなどと,介護する側だけが苦労を伴う大変なものとして,私は受け止めていました。しかし,その背景には,介護を受ける人にも苦悩があることを知りました。

 この作文で作者は,曾祖父の枕の下に「安楽死」と書かれた紙切れを発見し,曾祖父が,変わり果ててゆく自らの老いに恐怖を感じ,自分が家族に迷惑をかけてしまうだけの存在であると思い,自分が死ぬことによって家族を苦労から救おうとまで苦悩していたことを知り,「心臓が破裂するような衝撃だった」と表現しています。介護を受ける人の家族に対しての気遣いや,誰かの役に立ちたいという思いにまで心を寄せることの大切さを教えてもらいました。
 高齢者に対する身体的・精神的な虐待やその有する財産権の侵害のほか,社会参加の困難性などが人権上の問題になっています。高齢者が安心して自立した生活を送れるような取組を積極的に推進するためにも,高齢者の思いに寄り添って,理解を深めかかわっていくことが大切なことだと,あらためて思うことでした。

 

以下に,全文を紹介します。

「最期まで輝いて…」
長野県・信州大学教育学部附属松本中学校 3年
野崎 華加(のざき はなか)
 
 仏壇に向かい静かに目を閉じると,優しく穏やかに微笑む曾祖父母の笑顔が浮かぶ。
 曾祖母は,十年前にパーキンソン病を発病。身体の機能は急速に衰え,食事も排泄の自分の力ではできなくなった。四年後には,曾祖父が庭の雪かきで背骨を潰し歩くのがやっとの状況になってしまい,認知症状も悪化していった。家族で二人を介護する壮絶な闘いが始まった。
 十二月の寒い朝。起きてくると母と祖母が悲痛な顔で掃除をしていた。家中が汚物のすさまじい臭いでむせ返るようだった。トイレの壁,布団,カーテンに汚物が付着している。夜中に曾祖父が排泄に失敗し,自分で何とかしようとパニックになったらしい。私はトイレに入れない。学校まで我慢した。曾祖父は昔から頑固で人の言うことを聞こうとしない人だった。自分の体が思うように動かなくなっても,排泄を介助する祖母に
「余計なことをするな! 自分でできるであっちに行け!!」
と怒鳴り,殴りかかろうとする。
食事を終えても,
「ご飯よこせー。ご飯よこせー。腐ったものでもいいから下さーい」
と部屋の扉を叩いていた。外出して家に戻ると,台所の冷蔵庫から食べ物を取り出し,わし掴みにしたまま倒れていることも頻繁だった。やっとの思いで抱き起こし,怪我は無かったか? 気遣う家族に対しても,反省や感謝の気持ちなど全く感じられない。私は,
「家族にこんなに迷惑をかけているのに,何でそのことに気付かないのだろう」
と,いつも憤りを感じていた。
 「華ちゃん,お湯お願い…」
と私を呼ぶ祖母の叫び声がした。
何日か曾祖母のお腹の調子が悪く,おむつから溢れる汚物で,下着から布団まで全てを汚してしまう大変な日々が続いていた。
 扉を開けると祖母が号泣していた。数年も続いた介護の生活に疲れ果て,心も体もボロボロになっていたのだと思う。曾祖父が曾祖母の枕元で呟いた。
「お前はもう死なにゃいかん。皆が大変だで生きてちゃいかん。おらも死なにゃいかんと思っとるが,なかなか死ねん」
曾祖母は涙を浮かべ,
「今も大便我慢できなんだだよ。わしはこれからご飯を食べないようにするわ」
と絞り出すような声で答えた。二人が家族を気遣って言った,心からの温かい言葉だった。 自分が老いて変わり果ててゆく。自分で自分のことができなくなってゆく恐怖。どんな辛く悲しいことだったのか? 曾祖父の家族に嫌われる行動は,
「自分でやりたい。自分でできるんだ」
と私たちに訴えかけていたように思う。そして,二人を介護し続けていた祖母の大変さを,私は分かっていなかった。この日から,私はできるだけ介護を手伝い,曾祖父母と話し,好きな歌を一緒に歌った。昔の歌は,二人の思い出の宝石箱を静かに開いた。兄弟姉妹のこと,戦争のこと,輝いていた若かりし日の思い出は,昨日のことのように湧き上がり,二人を元気にした。
「ありがとねー。面倒かけるねー」
「おじいちゃんは,いつも華ちゃんのこと拝んどる」
 二人の笑顔と,優しい言葉は何よりも私の力となり,がんばる勇気を与えてくれた。
 二人の部屋を祖母と掃除していた時,曾祖父の枕の下に,うす切れたシワシワの一枚の紙切れを見つけた。「安楽死」と曾祖父の達筆な字で書かれていた。心臓が破裂するような衝撃だった。家族の大変さを思い,これ以上迷惑はかけたくない,と自分の死を願っていたのだろうか。怒鳴ることしか心の表現の仕方を知らなかったが,誰よりも家族の幸せを祈り,大切に思ってくれていたのだ。祖母も私も言葉が出なかった。ただ,涙が溢れた。 
 曾祖父母は認知症で,今あったことはすぐに忘れてしまったが,若い頃の記憶だけは最期まで失うことはなかった。それは「人の世話になるのではなく,元気で輝いた自分で居続けたい。誰かの役に立っていたい」という心の表れだったように思う。動けないから代わりに何でもしてあげよう,という考えは優しさでも思いやりでもない。一人の人間として認めてあげること,伝えることのできない心の声に耳を傾けることが,一番大切なのだと思う。
 自分が「死ぬ」ことで,家族を守り支えようとした曾祖父の心の強さ,温かさ。人は人に支えられている。厳しい時代を苦労や努力と向き合いながら精一杯生きてきてくれた。そのお蔭で今の私たちの幸せがあることを忘れずにいたい。人は誰でも老いを迎える。体が動けなくなったときに,自分の夢や願いが叶う社会を築きたい。人としての誇りと豊かさを持って,誰もが輝いた最期を迎えられるように…。

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