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更新日:2011年12月26日

6月のちょっといい話~個別の課題から~(ハンセン病患者・元患者)

   「今日は,これから三味線を習いに行くの。」
 と,療養所の教会の前ですれ違った笑顔が優しい高齢の女性。
 「私が入所したころからプロミンを打ってもらってね,みるみるうちに顔の腫れが引いてねえ。いまじゃ,ほら,何ともないでしょ。」
 と,目を細めながら顔のしわをさらに深くされました。
 沖縄から一人で鹿屋に来て50数年。当初は,「何でこの私が・・・」と病気を恨み,治したい一心で治療を続けてこられたそうです。
 「私はまだいいの。沖縄の家族に悪くてねえ。こんな私を出した家だから,兄の結婚とか,いろんな迫害があったみたいだけど。そんなことは私には話さずにいてくれるのよ。」 と,家族の配慮に気遣いながら,年に1回の里帰りの楽しみや,所内で結婚した夫との将来について話してくださいました。
 夫の方も同じ沖縄。その夫が同窓会に呼ばれた。妻として自分も呼ばれ,「その席では紅一点だったのよ」と嬉し恥ずかしの顔。夫が乾杯の発声を頼まれた。いざ,コップを持って「かんぱ~い」と言おうとしたそのとき,一瞬,我に返り,どうやってコップをつかもうか,ためらわれたそうです。しかし,次の瞬間,とっさに,握り拳状になった両手でコップを挟んで「かんぱ~い。」この時,「ああ,解放された」と思われたそうです。それ以来,この会での「乾杯の発声はいつも夫なの。」
 同窓会に呼んでくれた,仲間たちの存在のありがたさ。
 断種手術を余儀なくされた夫との二人暮らしで,子も孫もなく淋しい思いのなか,夫の兄弟の息子さんを養子に迎え,その孫までも抱かせてもらった喜び。
 「私たちが死んだら,遺骨はここに置かせてもらってもいいし,沖縄に連れて帰ってもらってもいい。ただ,本当にお世話になったこの療養所の方々への,感謝の言葉だけは忘れないで欲しい。」と,自分たちがこの世を去った後のことを誰かに託すことができるまでになった今。だからこそ,生きているこの瞬間を喜び,「まだ早いよ,そんな話は」と照れくさそうに話す息子さん夫婦の存在こそが「ありがたい」と,満面の笑みで語ってくれました。まるで,自分の祖母と話しているような感覚にまでさせてくれた“おばあ”でした。
 かつて,人間として,人間らしく生きることを否定され,その悔しさも声どころか「光を見ることなく・産声をあげることなく」闇に葬られ,命を命として受け止めてもらえず,標本のごとき扱いをされた時代があった。その命をつないで来た人々も,園から出ることなく,煉瓦の火葬場で煙となって天に昇り,名もなき星になっていった。
 “無知は差別のはじまり”とは,父親がハンセン病であった家族の方の言葉です。患者・元患者だけでなく,その家族や子孫までも苦しめるものは,周りの無知と無視。“差別をなくすはじまり”は,「ハンセン病」という病気の正しい知識に加え,差別の原因はどこにあるのか,どのような差別があったのかという現実を知り,行動に移す私たちの意識であることを,おばあの家族や仲間たちの話を聞いて思うことでした。
 

ハンセン病問題に係る週間,記念日等

 

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