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更新日:2020年6月17日
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現在の日本の警察制度確立に尽力した川路利良は,天保5年(1834年)5月11日に鹿児島県で誕生しました。川路利良の功績を讃え,県警本部前に銅像が建立されています。
川路利良は,鹿児島城下比志島(ひしじま)(現在の鹿児島市皆与志町)で生まれました。
川路利良は貧しい生活のなか,小さい頃から剣の稽古に励み,漢学を学ぶなど,強靱で不屈の精神と幅広い知識を求める心の持ち主でした。
川路利良と同じ時代に活躍した薩摩の偉人には,西郷隆盛(7歳上),大久保利通(4歳上),五代友厚(1歳下)がいます。(※括弧内は川路利良との年齢差)
1862年の生麦事件に端を発した薩英戦争では,薩摩軍の一員として戦いました。
1871年に川路利良は上京し,同年施行された廃藩置県に合わせた新しい警察制度をつくるため,東京に邏卒(今で言う「巡査」)3,000人を置くことになり,西郷隆盛が1,000人,川路利良が1,000人,残りの1,000人を鹿児島以外の者で集めました。つまり,3人に2人は鹿児島出身者が占めていたことになります。
この邏卒のトップとして川路利良が邏卒総長に就任しました。
近代国家にふさわしい警察制度をつくるため,川路利良は1年かけてヨーロッパを視察し,「民衆のための警察」を基本理念とするフランスの警察制度を手本にするべきだと考えました。
帰国した川路利良は,東京警視庁を創設し,東京警視庁大警視(現在の「警視総監」)を拝命しました。
その後も警察制度の確立のため,精力的に激務をこなしていた川路利良でしたが,次世代育成やさらに上を目指した警察制度づくりのために二度目の視察で訪れたヨーロッパで病に倒れ,1879年10月13日に46年の生涯を閉じました。
川路利良の言葉をまとめた「警察手眼」の中に出てくる言葉で,犯罪捜査の極意を説いたもの。言葉自体の出典は「礼記」。警察は国民の声や想いを感知し,国民の心に寄り添うべきであるという教えだと言われています。
川路大警視の銅像は,没後120年にあたる平成11年に,県民に背を向けない(本部庁舎に背を向けている)姿で鹿児島県警察本部庁舎前に建立されました。
川路大警視は,幾多の困難を乗り越え,高い志を持って近代警察の創設に心血を注いだ不墝不屈の精神の持ち主であり,慈しみ深い人柄として伝えられています。
☆参考文献~大警視川路利良銅像建立記念誌「脈々と」(鹿児島県警察協会発行),川路利良の生涯~信念を貫き寡黙に警察を創った男(川崎兼二著)
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