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郷土の偉人

幕末(ばくまつ)・維新(いしん)に大活躍(かつやく)

薩摩藩(さつまはん)出身の西郷隆盛(さいごうたかもり)や大久保利通(おおくぼとしみち)、小松帯刀(こまつたてわき)などが一生懸命(いっしょうけんめい)がんばって明治維新(めいじいしん)を成し遂げ(なしとげ)、日本を近代国家へと変えていきました。

西郷隆盛(さいごうたかもり)(1827-1877)

西郷隆盛銅像

もとは下級武士でしたが、島津斉彬(しまづなりあきら)に才能(さいのう)を見いだされて幕末(ばくまつ)・維新(いしん)のころに活躍(かつやく)しました。薩長同盟(さっちょうどうめい)や戊辰戦争(ぼしんせんそう)、江戸城(えどじょう)の無血開城(むけつかいじょう)など、新政府(せいふ)樹立(じゅりつ)のために力を尽くした(つくした)郷土(きょうど)の英雄(えいゆう)です。

鹿児島市や霧島(きりしま)市、和泊(わどまり)町のほか、東京の上野公園にも銅像(どうぞう)が建てられ、多くの人に親しまれています。

大久保利通(おおくぼとしみち)(1830-1878)

大久保利通銅像

西郷隆盛(さいごうたかもり)とともに明治維新(めいじいしん)で活躍(かつやく)した郷土(きょうど)の英雄(えいゆう)です。

新政府(せいふ)が外国の視察(しさつ)や調査などのために派遣(はけん)した使節団(しせつだん)の副団長(だんちょう)として、アメリカやヨーロッパを訪問(ほうもん)しました。帰国後は、政府(せいふ)の中心人物として、国内産業の近代化などに力を尽くし(つくし)、近代日本の礎(いしずえ)を築き(きずき)ました。

天璋院篤姫(てんしょういんあつひめ)(1836-1883)

天璋院篤姫銅像

今和泉島津(いまいずみしまづ)家に生まれ、斉彬(なりあきら)の養女となり、第13代将軍(しょうぐん)の徳川家定(とくがわいえさだ)に嫁ぎ(とつぎ)ました。しかし、わずか1年半で家定(いえさだ)が亡くなった(なくなった)ため、天璋院(てんしょういん)と名前を改めました。

江戸城の無血開城(むけつかいじょう)に力を尽くし(つくし)、生涯(しょうがい)、徳川(とくがわ)家の立場を貫いて(つらぬいて)第16代当主である徳川家達(とくがわいえさと)の養育につとめました。

小松帯刀(こまつたてわき)(1835-1870)

小松帯刀銅像

天璋院篤姫(てんしょういんあつひめ)と同じ年の生まれで、1861年に島津久光(しまづひさみつ)の側役(そばやく)となり、翌年(よくねん)には28歳(さい)の若さで薩摩藩(さつまはん)家老(かろう)の大役に就き(つき)ました。坂本龍馬(さかもとりょうま)とも親しく、小松の招き(まねき)で龍馬(りょうま)は鹿児島を訪れています。

薩長同盟(さっちょうどうめい)や大政奉還(たいせいほうかん)などで活躍(かつやく)し、新政府(せいふ)でも要職(ようしょく)に就き(つき)ましたが、若くして病死したため「幻(まぼろし)の宰相(さいしょう)」と呼ばれる明治維新(めいじいしん)の実力者です。

調所広郷(ずしょひろさと)(1776-1849)

調所広郷銅像

薩摩藩(さつまはん)は財政(ざいせい)が苦しく、19世紀前半には500万両もの借金(しゃっきん)に悩んでいました。藩(はん)から財政再建(ざいせいさいけん)の命令を受けた調所(ずしょ)は、密貿易(みつぼうえき)や出納(すいとう)の合理化(ごうりか)などで藩(はん)の財政(ざいせい)を建て直すことに成功しました。

この財政改革(ざいせいかいかく)の成功が、後の集成館(しゅうせいかん)事業とや明治維新(めいじいしん)を進める基(もと)になりました。

寺島宗則(てらしまむねのり)(1832-1893)

斉彬(なりあきら)の医者を務め(つとめ)、薩摩藩(さつまはん)が取り組んだ近代化事業では洋書の翻訳(ほんやく)を手がけました。1861年に福沢諭吉(ふくざわゆきち)たちと幕府(ばくふ)の使節団(しせつだん)の一員としてヨーロッパに渡り、4年後には薩摩藩(さつまはん)英国留学生(りゅうがくせい)を引率(いんそつ)しました。明治維新(めいじいしん)の後は、外国との不平等(ふびょうどう)条約(じょうやく)の改正に力を尽くし(つくし)ました。医師、通訳、外交官として多彩(たさい)な活躍(かつやく)をしました。

川路利良(かわじとしよし)(1834-1879)

川路利良銅像

日本の警察(けいさつ)制度(せいど)の創設(そうせつ)者。フランスの警察(けいさつ)制度(せいど)を学んで帰国し、1874年に初代の東京警視庁(けいしちょう)大警視(だいけいし)に就任(しゅうにん)しました。これは、現在(げんざい)の警視総監(けいしそうかん)です。

故郷(ふるさと)の鹿児島市の皆与志(みなよし)には、「大警視(だいけいし)」というバス停があります。

大山巌(おおやまいわお)(1842-1916)

西郷隆盛(さいごうたかもり)のいとこ。三度のヨーロッパ訪問(ほうもん)で兵学(へいがく)を学び、日本陸軍を創設(そうせつ)しました。1885年、日本初の内閣(ないかく)である伊藤博文(いとうひろぶみ)内閣(ないかく)で、初代の陸軍大臣(りくぐんだいじん)に就任(しゅうにん)。また、日露(にちろ)戦争の時は、満州軍(まんしゅうぐん)の総司令官として、その当時は世界最強といわれていたロシア陸軍を破りました。

東郷平八郎(とうごうへいはちろう)(1847-1934)

東郷平八郎銅像

薩摩藩(さつまはん)とイギリスが戦った薩英(さつえい)戦争で、海岸や海上の守りの必要性(せい)を感じ、新政府(せいふ)では一貫(いっかん)して海軍の前線に立ちました。

日露(にちろ)戦争では、連合艦隊(れんごうかんたい)司令長官としてロシアのバルチック艦隊(かんたい)を日本海で撃破(げきは)し、世界を驚か(おどろか)せました。

イギリスで活躍(かつやく)した海軍司令官の名前にちなんで「東洋のネルソン」と称え(たたえ)られ、鹿児島市の多賀山(たがやま)公園に銅像(どうぞう)が建っています。

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