田尾原田ノ神舞(たおばるたのかんめ)
<現在休止中のため、掲載内容は公開当時の様子等です。>
田尾原田ノ神舞は,藩政時代「阿波井堰」から、塔之原の「八日田」まで、用水路が引かれ完成したのを祝って踊られたのが始まりで、明治の初期、川辺地区からの移住者の伝播により、明治20年ごろ、ほぼ完成した踊りになったといわれています。
この踊りは、神舞系の「田の神舞」ではなく、田の神の神前で奉納した「日送り踊り」が、いつしか「タノカンメ」と塔之原で言うようになったと伝えられています。
構成は前段と後段の2部に別れており、笛、三味線、拍子木、太鼓の演奏に合わせて踊ります。前段は、仮面をつけた村中のいろいろな仕事の人々がこぞって集まり輪になって、五穀豊穣に感謝して田の神様に奉納する踊りです。後段は、通称「種まき」と呼ばれ、一人の農夫が中央を向き、休んでいる村人の輪の中で、苗床に籾種をまく一連の仕種を、来年の豊作を田の神様に祈願する踊りです。
町秋まつり文化祭・農林商工祭ほか小学校の運動会で披露されていましたが、現在休止しています。
公開日時
休止中
公開場所
以前は、轟小学校にて公開
開催風景
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