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更新日:2012年6月27日

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生麦事件

島津久光が,1862(文久2)年江戸での幕政改革を終えての帰途,東海道生麦村(横浜市鶴見区)を通行中,婦人一人を含むイギリス人4名が騎乗のまま行列の中に入り込みました。この行為は,行列を乱すものとして,薩摩藩士の激しい怒りをかい,イギリス人3名が殺傷されるという生麦事件が起こりました。イギリスは,幕府に対しては正式の謝罪と賠償金10万ポンド,薩摩藩に対しては犯人の処刑と賠償金2万5千ポンドをそれぞれ要求しました。幕府は,このイギリスの要求に応じましたが,薩摩藩はこの要求を拒否し,解決は薩英戦争後に持ち越されました。
 

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