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更新日:2012年6月27日

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公武合体論から討幕論へ

寺田屋事変(1862)後,島津久光のとなえる公武合体による幕政の改革は,しだいに大勢の支持を失ってきました。
尊王壌夷から討幕へと急激に時代は動き,これに対応するため薩摩藩では,沖永良部島で流罪禁固の身であった西郷隆盛を召喚,政局の中心へと登場させました。
西郷は,禁門の変で朝敵の立場へと追い込まれた長州藩を討つために幕府が行った第一回長州征伐に参謀として参加,見事な交渉力で長州から謝罪を取り付けました。
すでに幕府の能力に見切りを付けていた西郷は,1865(慶応元)年の第二回長州征伐には出兵を断り,武器や汽船購入のあっせん(あっせん)を行って長州を陰から援助しました。
その後,坂本龍馬らの仲介により,薩長の連合が成立し,西郷をはじめ薩摩藩は幕府の解体,やがて倒幕へと動いていくことになります。

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