閉じる

  •  
 
 

閉じる

 
 

更新日:2012年5月23日

ここから本文です。

太平洋戦争

1941(昭和16)年12月8日に始まった戦争は,太平洋や中国大陸を含めて広い地域に及びました。
本県は本土最南端にあるため,南方への攻撃や防衛に備えて飛行場が次々に建設されました。これら飛行場はアメリカ軍が近づくにつれて,次第に特攻基地へと変っていきました。
1945(昭和20)年になると,県本土へのアメリカ軍による空襲が開始され,終戦までひっきりなしに続けられました。
特に鹿児島市は8回の大空襲を受け,全市が焼け野原となりました。そのため西鹿児島駅(現鹿児島中央駅)から海岸まで障害物がなく,海が見えたそうです。
 
第二次大戦による鹿児島市被災状況図

よくあるご質問

このページに関するお問い合わせ

歴史・美術センター黎明館学芸課

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

このページの情報は役に立ちましたか?

このページの情報は見つけやすかったですか?