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更新日:2012年6月27日

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島津荘の成立・島津氏の登場

島津荘は,摂関家の一つである近衛家の所領で薩摩・大隅・日向にまたがる広大な荘園です。島津荘は,1026(万寿3)年頃大宰府の役人であった平季基が日向国島津院(現宮崎県都城市)を中心とする荒野を開発し,摂関家の藤原頼通に寄進したのが始まりでした。
1185(文治元)年,島津荘の下司職に補任された惟宗(これむね)忠久が,荘園名をもって島津忠久と称したことが島津氏のはじまりです。その後,忠久は1197(建久8)年には薩摩・大隅両国の守護職に,さらに日向国の守護にも任じられ,薩・隅・日の守護を称して三州を掌握しました。
島津氏は初代忠久,第2代忠時,第3代久経まで鎌倉で生活し,鎌倉幕府との親密な関係をもっており,島津氏の実質的な鹿児島入りは,蒙古襲来を契機に第3代久経が,九州における異国警固番役を命じられて1275(建治元)年に九州へ下向してからになります。
 
島津荘の起源を語る管窮愚考の史料の写真

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