鉄砂釉玉流し瓢形徳利(龍門司系)

串木野の島平に上陸した朝鮮陶工達のうち卞芳仲と何芳珍は,帖佐の八日町,加治木の龍口坂ついで吉原にそれぞれ窯を築いたと言われるが,これらの窯跡は発見されていない。芳仲の歿後,芳珍の子孫山元碗右衛門は,加治木の山元に窯を築き,ついで湯の谷に移った。この後,小山田で焼成に適した粘土を発見し,藩の保護もあり,龍門司窯を築き多くの製品を焼いた。この作品の鉄砂釉は,紫色がかった深みのある赤色が特徴で,この破片が芳工の屋敷跡から出たため芳工赤と呼んでいる。芳工は本名を川原十左衛門種甫と言い抜群の指導者として活躍し,1779年には,長男彌五郎種春(芳寿)を伴い肥前に陶法視察に赴いている。
展示に関する情報
現在展示してありません
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください