俊寛が流刑の地へ船出した場所「俊寛の碑」
俊寛は,平清盛の逆鱗に触れたため,鬼界島(現在の三島村硫黄島)に流され,二度と帰京することなくその地で生涯を終えたと言われている平安時代末期の僧です。
鹿児島市中町のアーケード街近くのビルに囲まれたある一角に,樹木に覆われた石碑が建っている場所があります。
石碑には「俊寛の碑」と書かれています。
硫黄島に流されたとされている俊寛の石碑がどうしてここにあるのでしょう?
明治31年頃,ここが埋め立てられるまでは堀があり,「俊寛堀」と呼ばれていたそうで,俊寛が硫黄島へ出発する際,この堀から船出したということです。
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