更新日:2012年6月27日

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木曽川の治水工事

江戸幕府は,1753(宝暦3)年に薩摩藩に木曽川治水工事の御手伝普請を命じました。薩摩藩は,平田靱負を総奉行に任じ,藩士・足軽以下約千人を派遣しました。工事は約1年3か月で完成しましたが,大榑川洗堰工事などの難工事などのため,約40万両の経費がかかり藩財政は大きな打撃を受けました。また工事中の自害・病死等の犠牲者も薩摩藩関係者だけで80余名にのぼりました。工事検分終了直後,平田靱負は大牧村役館において自刃したと伝えられています。
1938(昭和13)年,木曽川治水工事の犠牲者をなぐさめるため地元の人々が全国から基金をつのり,岐阜県海津市油島に,治水神社が創建されました。
 
平田靱負像の写真

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