更新日:2017年3月25日

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豊臣秀吉朱印状

〔個人蔵〕黎明館寄託[複製]

「豊臣秀吉朱印状(複製)」画像


文禄の役に島津氏に課せられた兵数は1万であったが,当時の島津氏の困窮は甚だしいものであった。当主義久は,三州内寺領の3分の2を没収するなど軍費の調達に苦心した。義久は,所労を理由に参陣せず,義弘や女婿の久保,豊久(島津家久の子・佐土原城主2代目)を渡海させたが,軍費の調達が間に合わないままに渡海したという。
この史料は,文禄元(1592)年4月28日に発せられた豊久あて朱印状で,軍勢を調えて早く名護屋城に集結すべきことを厳命している。
織田信長の「天下布武」の印はその先駆けとなったが,秀吉もこの時期から公的な文書に朱印を押すようになった。

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