更新日:2017年3月25日

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島津義弘等連署全羅道海南定榜文写

【国宝】
東京大学史料編纂所蔵【複製】

「島津義弘等連署全羅道海南定榜文写(複製)」画像


慶長2(1597)年9月25日,義弘等の軍勢は全羅道霊岩より南下し海南に入り,16日間この地にとどまった後翌月10日康津へ向かい,月末に泗川に入っている。
日本軍と戦う朝鮮軍はゲリラ戦を展開し,義弘等日本軍の支配は点と線を押さえるにすぎなかった。このため日本軍は「山狩り」を行い朝鮮ゲリラの掃討をはかり,朝鮮農民にゲリラの密告を強制した。
この榜文は海南攻略直後に土民百姓に発せられたもので,もとの村に帰り農耕にいそしむべきこと,役人や役人の妻子などを探しだし殺戮すべきことなどが命じられている。

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