更新日:2017年9月1日

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黎明館敷地散策

 

鹿児島県歴史資料センター黎明館の敷地は,17世紀初め初代鹿児島藩主家久によって構築され,江戸時代を通じて藩主島津氏の拠点となった,鹿児島(鶴丸)城の本丸の跡です。
治時代以降は,知政所,鎮西(熊本)鎮台第二分営,中学造士館,第七高等学校造士館,鹿児島大学文理学部,同医学部などが設置され,昭和58(1983)年,鹿児島県歴史資料センター黎明館が開館しました。

在,この地には,石垣や濠,御楼門に至る石橋が残っており,これらは鶴丸城跡として県指定史跡になっています。また,敷地内には歴史を刻む様々な記念碑等が残されています。

なお,鹿児島城は(公財)日本城郭協会から日本100名城の一つに定められています。

黎明館敷地散策地図

 

 

 黎明館散策記念碑写真

 

 
 
敷地散策概説
1 御楼門跡(ごろうもんあと) 御楼門は,明治6(1873)年の火災により焼失しました。この御楼門跡の前橋は,慶長11(1606)年に板橋が架けられ,渡り初めが行われました。文化7(1810)年には,石橋に架け替えられました。
2 七高時代の門柱 第七高等学校造士館(以下「七高」という。)時代の門柱です。いつ建てられたかは不明です。外から見て右から2番目の柱は損傷が著しかったため,黎明館開館当時,新たに造られています。
3 天璋院像(てんしょういんぞう) 天璋院(篤姫)の功績を顕彰するために,平成22(2010)年12月19日建立されました。制作は,文化勲章受章者中村晋也氏です。
4 新橋橋柱(しんばしきょうちゅう)

鹿児島(鶴丸)城の北側,潮侵壕に架けられていた橋柱です。潮侵壕は,現在のかごしま県民交流センターと鹿児島市立長田中学校との間の道路部分で,橋は交流センターの海側のところにありました。

5 聚珍寶庫碑(しゅうちんほうこひ) 島津重豪が,文政10(1827)年に江戸高輪の藩邸内に建てた「聚珍寶庫(しゅうちんほうこ)」(珍しいものをあつめた宝物庫)の由来等を記した石碑です。重豪が,国内外の珍しい物産を収集し,草木の栽培や鳥獣の飼育を行い,これらを研究・記録することによって自然界の真理を解明しようとしたことなどが書かれています。平成12(2000)年,東京都大田区南雪谷の旧島津邸から移設されました。
6 鹿児島大学医学部跡記念碑 平成27年7月,鹿児島大学医学部創立70周年・西洋医学開講150周年を記念して,医学部生達が基礎医学を学んだこの地に建立されました。
7 七高生久遠の像,七高造士館跡の碑,寮歌・記念祭歌歌碑 七高生久遠の像は,七高開校85年を記念して七高同窓会により昭和60(1985)年10月に建立されました。それぞれ「知,情,意」を象徴する七高生の姿をあらわすとされています。
七高造士館跡の碑は,昭和34(1959)年10月,寮歌・記念祭歌歌碑は,平成2(1990)年10月に建立されました。
8 水神その他の石碑等 御楼門跡の石垣近くに,水神の石碑,頭部のない坐像,地神の石祠などがまとめて安置されています。
9 従三位島津重豪公頌徳碑(じゅさんみ・しまづしげひでこう・しょうとくひ) 第七高等学校造士館は,安永2(1773)年に創設された藩校造士館(現在の鹿児島市中央公園の場所)を淵源としたことから,藩校造士館創設者である藩主島津重豪の徳を称えて,昭和17(1942)年11月,この碑が建立されました。
10 七高ゆかりの楷(かい)の木・竜舌蘭(りゅうぜつらん) 七高講堂の前に,中国山東省にある孔子廟の楷の木の種子から育てられた楷の木がありました。戦災で枯れましたが,これにちなみ,昭和58(1983)年,七高OBにより再び植樹されました。
また,竜舌蘭は七高時代敷地の処々にあり,学生たちに愛でられていました。現在の竜舌蘭は,元々七高にあった芽株が七高OB間で引継がれてきていたことから,これを楷の木と同年に植樹したものです。
11 明治天皇行幸記念碑 明治5(1872)年6月22日,明治天皇が鹿児島に行幸されたことを記念して,明治45(1912)年6月に建立されたものです。碑銘「行幸記念碑」は,松方正義の書です。
12 御角櫓跡(おすみやぐらあと) 御角櫓は,鶴丸城本丸の南隅に位置していました。本来は,外敵の看視や防戦のための建物でしたが,近世の城郭では,城の美観を整えるとともに,物品収蔵施設としても用いられていたようです。
13 麒麟の間跡(きりんのまあと) 本丸御殿内にあった「麒麟の間」の跡です。現在,柱跡のあったところにつつじを植栽しています。
14 御野立所跡の碑 昭和10(1935)年11月17日,昭和天皇が鹿児島行幸の際に七高を視察されたことを記念して,昭和13(1938)年に建立されました。天皇は,当日ホッケー競技を御覧になりました。
15 田の神石像(模刻) 姶良町平松(現姶良市)・吾平町上名中福良(現鹿屋市)・加治木町日木山里(現姶良市)・郡山町茄子田(現鹿児島市)の田の神像を模刻したものを展示しています。
16 石敢當(せっかんとう) T字路の突き当たりには,魔除けの石である「石敢當」を建てました。このような習俗は,中国から南島を経て伝播したといわれ,南九州や南島に多く見られます。この石敢當は,出水市にあったものです。
17 民家(てのま二つ家) 姶良郡横川町下ノ赤水(現霧島市横川町)の海老ヶ迫(えびがさこ)家住宅を移築したもので,建築の時期は,天保年間(1830~1844年)と伝えられています。二つの棟が,「樋の間(てのま)」で連結されています。この種の民家は,川内川流域から旧姶良郡一帯に見られます。
18 田の神石像 民家(てのま二つ家)の裏庭に立つ田の神像は,石造りで,川薩地方に見られる神像型田の神の典型的なものです。
19 御池(大悲水,九皐橋)(おいけ,だいひすい,きゅうこうばし) 鶴丸城内にあった庭の池の一部を当時の石を使い復元したものです。もともと御池は,本丸南東隅にありました。

 

黎明館敷地散策チラシ(A4×2枚)(PDF:618KB)

 

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