野戦病院の旗
戊辰戦争のとき,従軍医として出征した出水郷士河添行義の遺品である。
薩軍は京都の上京区にある相国寺内の養源院に臨時の病院を設けて,負傷兵たちを手当てした。この臨時病院を野戦病院という。その後,東北戦線でも設置された。
なお,この野戦病院に英公使パークスは英医師ウィリスに通訳官アーネスト・サトウをつけて派遣した。そのころ天皇の居る京都には外国人は入れなかったのであるが,藩主島津忠義の申し出で許可がおり,二人は京都に入った最初の外国人となったようである。
展示に関する情報
現在展示してあります(パネル展示)
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