閉じる

  •  
 
 

閉じる

 
 

ここから本文です。

天保の財政改革

摩藩は,藩内の生産力が低く,苦しい財政状態にあった。そのうえ,木曽川治水工事の御手伝普請,島津重豪の開明政策などで費用がかさみ,19世紀前半には藩の借金は500万両に達した。

こで,文政11(1828)年,島津重豪と藩主島津斉興は,側用人調所広郷に財政再建を命じた。調所は,藩債を無利子250年賦にし,生産や流通の近代化,琉球口貿易や奄美の砂糖の専売制を強化するなどして,藩財政を建て直した。

糖の専売制度の強化は,奄美の人々に大きな負担をかけたが,この財政改革の成功が,集成館事業や明治維新を推進する基になった。

よくあるご質問

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

このページの情報は役に立ちましたか?

このページの情報は見つけやすかったですか?