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更新日:2022年12月23日

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九州略定図

〔個人蔵〕黎明館寄託

「九州略定図」画像


16世紀後半の九州は,南部には義久を当主とする島津氏が,西部には相良義陽(さがらよしひ)が,東北部には大友宗麟(おおともそうりん)が,北部には龍造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)がそれぞれ大きな勢力を張り,勢力の拡大を目論んでいた。
島津氏は,天正6(1578)年に宗麟と日向耳川(ひゅうがみみかわ)で戦い大勝し,同9年には肥後水俣(ひごみなまた)の義陽を討ち,同12年には島原合戦で隆信を討ち,同14年には豊後府内を占領し,九州のほぼ全域を手中にした。しかし同15年,大友氏救援に九州に下った秀吉の大軍の前に屈服し九州制覇の夢は潰えた。
この絵図の端書に「天正十四年九州之太守ト称スル時ノ図」とある。島津氏が豊後に侵攻し,九州をほぼ制圧した頃に描かれたものであることがわかる。

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現在展示してあります(パネル展示)

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歴史・美術センター黎明館学芸課

電話番号:099-222-5396

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