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更新日:2022年12月23日

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歳久生害忠隣戦死一巻

〔個人蔵〕黎明館寄託

「歳久生害忠隣戦死一巻」画像


歳久は,義久・義弘の弟で祁答院領主。忠隣は歳久の養子。歳久は義久が抵抗なく秀吉の入境を許したことを遺憾とし,秀吉が薩摩に入った日に出迎えなかったり,秀吉が宮之城を通過する際に進路を妨げたりした。また,朝鮮出兵の命令に背いて,出兵しなかったりして秀吉に抵抗し続けた。義久は歳久のこのような行為が対秀吉関係を悪化させることを憂えて,ついに歳久を攻めたので,歳久は天正20年7月18日,竜ヶ水において切腹した。
この史料は,歳久の自害に至るまでの経過を歳久の養子・忠隣の戦死に至る経過を,含めて綴ったものである。歳久の墓は姶良町の平松神社境内にある。
鎧兜は歳久が着用したと伝えられるいろいろ威胴丸兜大袖付である。

「いろいろ威胴丸兜大袖付」画像

島津歳久着用と伝えられるいろいろ威胴丸兜大袖付
〔個人蔵〕黎明館寄託
 

展示に関する情報

現在「歳久生害忠隣戦死一巻」は展示してあります。
「いろいろ威胴丸兜大袖付」は展示してありません。

よくあるご質問

このページに関するお問い合わせ

歴史・美術センター黎明館学芸課

電話番号:099-222-5396

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