更新日:2018年1月19日

ここから本文です。

七村太鼓おどり

慶長3(1598)年9月、島津義弘公は、朝鮮の出陣で戦功を立てて帰国しましたが、その後豊臣秀吉が亡くなり、慶長5(1600年)年の関ヶ原の戦いで、徳川家康が勝利し、全国の諸勢力は家康に帰服しました。
義弘公が江戸に赴いた際、江戸ではコレラが流行しており、不安が広がっていたようですが、たまたま駿河の念仏おどりが町中を練り歩いていて、その疫病が下火になったと言われています。そこで、義弘公はこの功徳の偉大さと朝鮮からの凱旋を合わせて、藩内に残そうとしました。
財部では約二百年前から踊られていたと言われ、かつては南俣・北俣・下財部の各地区が、日光神社で「三ヶ村打ち込み」を行ない、踊りの評価を競ったそうですが、現在は南俣の七村地区だけに残っています。
踊りは、太鼓と鉦を鳴らし、背中の矢旗をなびかせながら隊列を組んで、いくつかの番組を踊ります。
 

公開日時

そお市民祭において3年に1回披露(H29年度披露)

公開場所

開催風景

太鼓1
太鼓2

太鼓3

よくあるご質問

このページに関するお問い合わせ

総務部文化スポーツ局文化振興課

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

このページの情報は役に立ちましたか?

このページの情報は見つけやすかったですか?