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更新日:2024年4月30日

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展示の構成

 

プロローグ谷山郷士から城下士へ

 

第1章薩摩藩士時代

鹿児島城下の下荒田に生まれた松方は,出自が谷山郷士であることによる偏見や,親戚の借金による貧困を乗り越え,その才覚により島津久光の抜擢を受け,激動の幕末を駈け抜けました。

第1節津久光の抜擢
第2節崎での活躍

第2章方官僚から大蔵官僚へ

いち早く朝廷に召し出された松方は,日田県知事を経て大蔵省へ抜擢され,地租改正など財源確保に手腕を発揮します。その後,西郷・大久保が相次いで他界します。
第1節田県知事から大蔵省へ
第2節西郷・大久保の死
第3節西欧視

第3章方財政

大蔵卿・大蔵大臣として,西南戦争後のインフレに伴う紙幣整理,日本銀行の設立,金本位制の確立と,日本財政の安定と発展の礎となる仕事に取り組みます。内閣総理大臣も2度務めています。
第1節紙幣整理
第2節日本銀行の設立
第3節金本位制の確立
第4節2度の組閣

トピック須野が原の開拓

栃木県の那須野が原は広大な原野であり,西洋式大規模農業の導入を考えていた松方等数名の政府高官が,私費を投じて開拓を行った地として知られています。中でも松方の千本松農場は中心的な存在でした。

第4章老・内大臣時代

明治33(1900)年に第2次山県内閣の大蔵大臣を辞職し,政治の第一線から引退しますが,その後も元老・内大臣として天皇を補佐し,信頼を得ました。
第1節元老・内大臣
第2節明治天皇,大正天皇との信頼関係
第3節松鶴遐齢集の世界

エピローグ郷鹿児島への貢献とその死

松方は旧主家である島津家の顧問として家政改革等に尽力し,これは故郷鹿児島の振興にも通じるものでした。大正13(1924)年7月2日,激動の人生に幕を下ろしました。享年90歳。
第1節津家顧問
第2節鹿児島と松方
第3節逝去

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歴史・美術センター黎明館学芸課

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